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2026.09.08

Turing株式会社 取締役COO 田中大介さん|「たまたま」と語れる強さ、その魅力の正体

連載「山本が、会いに行く。」第6回。前回の第5弾でお話をうかがった藤田健太の、さらに上長にあたる人である。2018年、山本がメドレーに入社したときの直属の事業部長。のちの執行役員。現在は完全自動運転EVを開発するTuringの取締役COO。──田中大介。実のところ、田中の記事はすでに世の中に多く出回っている。だから今回、山本が聞きたかったのは経歴ではない。この人が周囲の人間に与えている影響はあまりに大きく、山本自身もその一人だ。あの巨大な引力のような魅力には、理由があるはずだ。いや、あってほしい。そう思ってインタビューを申し込んだ。そして、みごとに「たまたま」で殴り返された。

① 出会いと関係性

セールス配属の新入社員から見た、全フロントを統べる人

2018年、山本はメドレーに入社した。配属はセールス。そして、その上にいたのが事業部長の田中である。のちに執行役員になる人だ。

当時の田中は、セールスだけを見ていたわけではない。マーケティング、インサイドセールス、フィールドセールス、カスタマーサクセス——すべてのフロント部門を統括していた。入社したばかりの人間から見上げたその立ち位置は、率直に言って圧倒的な存在感だった。組織図の上に名前があるという意味ではなく、事業のフロント全体がその人の言葉で動いていく、という意味での存在感である。

山本はその後、メドレーを離れてHubbleへ移り、さらにGoofy(グーフィー)を立ち上げて独立する。そのGoofyで、山本はセールスフォース関連の事業を立ち上げた。なぜ、数ある領域の中でそこだったのか。理由はひとつではないが、田中の影響が非常に大きい。これは山本が断言できることだ。営業とは何か、仕組みとは何か、テクノロジーで営業をどう変えられるのか——いま山本が当たり前のように使っている語彙のかなりの部分は、あの1年で受け取ったものである。

今回、山本が会いに行った動機は、だからきわめて個人的である。田中の経歴を紹介したいのではない。それはもう十分に世に出ている。知りたかったのは、この人が持つ引力の正体だ。多くの人が「田中さんにお世話になった」という感覚を持ち、田中が声をかければ動いてしまう。その現象には、必ず理由があるはずだ。

② 経歴と、今の仕事

誰が見てもキラキラしている、パーフェクトに近い経歴

先に事実を並べておきたい。田中は、誰が見てもキラキラしているようなキャリアと経歴を歩んでいる。学歴、職歴、人柄——どれをとっても、パーフェクトに近い。

生まれは千葉県成田。小さい頃から公文に通っていた。本人の言い方を借りれば、通っているうちに「どんどん進めていく」ようになり、勉強ができるという自覚があった。中学受験では渋谷幕張なども選択肢に挙がったが、進んだのは開成。中高6年をここで過ごす。

スポーツの遍歴が面白い。小学校時代はサッカー。中学ではハンドボール。そして高校では、集団ではなく個人での戦いをしたくなり、柔道部に入った。競技を変えた理由が「強い部だったから」でも「勝てそうだったから」でもなく、戦い方の単位を変えたかったからだというのが、この人らしい。

そして東京大学。部活はアメフト部。当時は体重が100kgを超えていたという。楽しかったですかと聞くと、返ってきた言葉は短かった。

「地獄」
──毎日もう辞めたいと思いながら、続けた。

── 田中さん

ここに深い意味を探す必要はない。辛いときに辛いと言い、それでも続けた。それだけの話である。この人は等身大でしか語らないので、当時の感情もそのまま出てくる。「あの経験が今に生きている」といった整理を、本人は一切しない。物語をつけたがるのは、たぶん本人ではなく、聞いている我々のほうだ。

キャリアはスパークスから始まる。金融である。山本が「なぜ東大でアメフト部で、スパークスなんですか」と聞くと、答えは驚くほどあっさりしていた。他をほとんど受けていない、選考も途中でやめてしまった、という趣旨のことを言う。

その後、もう1社を経てGoogleへ。ここで田中はクラウドサービス部門のエバンジェリストを務め、年に100回を超えるセミナーに登壇していた。

この入社の経緯が、実はこの人を理解する良い入口になる。田中は正社員ではなく契約社員としてGoogleに入っている。もともとは正社員前提の話だった。ところが途中でヘッドカウントがなくなり、契約からのスタートになった。そして半年で正社員になっている。「本来あり得るんですか」と山本が聞くと、田中はあっさりこう言った。「契約社員は全然ある道」「入っちゃったら大丈夫」。

田中に言わせれば、これも込みで「たまたま」Googleに行っただけであり、「たまたま」契約社員からだっただけである。

ただ、山本が引っかかったのは「入っちゃったら大丈夫」のほうだ。正社員かどうかは、そこまで大きな条件ではないということである。その根っこにあるのは、たぶん一つの確信だ。「本気でやれば、いつだって納得のいく結果は出る」。ここが揺らがないから、いつ、どこに、どのタイミングで行くかは、そこまで慎重に組み立てる必要がなくなる。なぜGoogleだったのか——その話は③で書く。

そして2016年5月、メドレーへ。遠隔診療ソリューション「CLINICS」のマーケティング統括責任者兼セールス責任者として入社し、のちに事業部長、執行役員となる。東大を出て外資のGoogleからメドレーへ移った経緯については、メドレー自身が公開している記事に詳しい。詳しくはこちらを読んでほしい。当時の田中は「Googleをやめるつもりは1mmもなかった」と語っている。それでも動いた。

現在はTuring株式会社の取締役COO(2023年1月就任)。完全自動運転EVの開発である。金融、クラウド、医療、そして自動車。共通点を探すほうが難しい。

田中 大介 経歴

出身 千葉県成田
学歴 開成中学・高校 / 東京大学(アメフト部)
部活の遍歴 小学校:サッカー / 中学:ハンドボール / 高校:柔道(集団から個人へ) / 大学:アメリカンフットボール
キャリア スパークス(金融)→ [1社]→ Google(クラウドサービス部門 エバンジェリスト)→ メドレー(CLINICS マーケティング統括責任者兼セールス責任者/事業部長/執行役員)→ Turing株式会社 取締役COO
現職 Turing株式会社 取締役COO(2023年1月就任)。完全自動運転EVの開発

③ 「たまたま」と語れる強さ

「だって、そうじゃん。そうだろ。」

小学校からの生活、置かれた状況、スポーツの選び方。そして現在に至るまでの意思決定について、山本は多くを聞いた。そのすべての節々で、田中は同じ言葉を挟む。

「たまたま」。

たまたま勉強ができた。たまたまその会社にいた。たまたま声をかけられた。たまたま面白そうだった。あまりに続くので、山本は途中で自分の要約をそのままぶつけてみた。

——田中さんの話を要約すると、こうなってしまうんです。「たまたま田中大介というスーパーマンが生まれて、たまたま時代を象徴するような素晴らしい会社にいる」。それだけの話にまとまってしまう。

返ってきた言葉が、この日いちばんの山場だった。

「だって、そうじゃん。そうだろ。」

── 田中さん

部下だった時代を彷彿とさせる圧迫アプローチと、圧倒的な自信。山本は一度、本当に「うん、まあそうですよね、そうか」と思ってしまった。会話の主導権を、完全に持っていかれた瞬間である。

ここで一度、言葉を整理しておきたい。

「たまたま」とは、要するに「偶然」と言っているのと同じことだ。そしてある側面から見れば、世の中の出来事はすべて偶然である。生まれた場所も、隣に座った人も、その年に募集があったかどうかも。だから田中の言っていることは、少なくとも間違ってはいない。

ただし、ここには決定的な差がある。田中が自分の生き様を「たまたま」と表現することと、それが他者に届いたときに「たまたま」として解釈されることは、まったく訳が違う。

なぜなら、「たまたま」そうなる前に、必然的なスタンスと、行動と、結果が存在するからだ。出来事そのものは偶然でも、それを引き受けられる状態を作っていたのは本人である。この記事で書きたいのは、そこだ。

実際、この日の会話の中に、その痕跡はいくつも落ちていた。

ひとつは、Googleに転職するときの話である。山本は、シンプルに理由を聞いた。「なぜGoogleだったんですか」。

起点にあったのは、スパークス時代の、ごく個人的な不便だった。当時のメールはオンプレミスのサーバーで運用されていて、メールボックスの容量が小さい。仕事でメールを扱うたびに、これは不便だと感じていた。

そこで田中は、自分のiPadとクラウドサービスで、同じことを個人的に試してみた。結果は明白だった。容量も、検索も、どの端末からでも開けることも、比べものにならない。そして思ったという。

「これ、もっと来るな。
こんなに便利なんだから」

── 田中さん

ここからの動きが速い。伝手を探せばいくらでもあったはずのGoogleに、シンプルに、正面から応募を出した。そしてポジションが契約社員だろうと正社員だろうと、そのまま飛び込んでいる。

山本が驚くのはここだ。「これは来る」と気づくことと、すぐに行動に移せることは、まったく訳が違う。多くの人は気づいたところで止まる。伝手を探し、条件を整え、タイミングを待つ。田中はそれをしない。ひとつの原体験と、自分の直感だけで動ける。

そしてもう一つ、見落としてはいけない要素がある。ここにあるのは、課題意識だけではない。「不便だから直したい」という気持ちだけでは、伝手も条件も飛ばして正面から応募するところまでは行かないと思う。「これは来る」と気づいた瞬間、田中はおそらく同時にワクワクしていた。この先が面白そうだ、と。俺が来ると思った。そして、それが面白そうだった。この二つが揃ったから、あの速さで動けたのだろう。

その根っこにあるのが、②で書いた確信だ。本気でやれば、いつだって納得のいく結果は出る。だから、いつどこへ行くかを慎重に設計する必要がない。そしてこの構えが、言葉になって出てくるとこうなる。

「まあ、俺がおかしいと思うものは、
もっと良くなるはずだから」

── 田中さん

クラウドの潮流に「たまたま」乗ったのではない。自分が不便だと思ったものを自分の手で試していたら、それが世の中の流れと同じ方向を向いていた。順番はこっちである。

もうひとつは、メドレーへ移るときの話だ。「チャレンジでしたか」と聞くと、田中は不安があったことを認めた。規模の不安である。潰れないとは言い切れない会社に入るのは、自分にとって初めてだった、と。

ただ、ここは分けて考えたい。それは会社に対する不安であって、自分に対する不安があったかと言われれば、山本はかなり怪しいと思っている。ご本人のnoteには「俺にできるのかな?」という趣旨のことが書かれているが、正直、謙遜にしか聞こえない(笑)。会社が潰れるかどうかは自分で決められないが、自分がやれるかどうかは自分で決められる。前者だけを不安と呼んでいる人なのだ。

そして、山本がこの人の本質だと思っているのは、次の一点である。

積み上げてきた学歴や経験を、自分の糧にこそするが、
成功の秘訣や美談には、決して用いない。

── 山本 恭平(yourVintage 代表)

田中は、自分が人より少し勉強が得意で学校の成績が良かったことも、東大やGoogleという看板も、あくまでメタに、客観的に眺めている。「それは、世間からしたら他より優秀とはされてるじゃん」——評価としては、それくらいのところに置いている。事実として認めはするが、そこに自分を乗せない。

だから、自分がうまくいった理由を語るときに、そこを持ち出さない。「あの学校に行ったから」「あの会社にいたから」という因果を、自分では一切引かないのである。使えるものはちゃんと使う。ただ、それを物語の主役にはしない。

世の中には「こじらせる」形が無数にある。肩書きを成功の理由に据えて語る人。逆に、肩書きに見合う自分でいなければと苦しむ人。持っているものを使い切れないまま、それを言い訳にする人。田中は、その全部の逆をやっている。持っているのに、語りに使わない。

だから山本の結論はこうだ。田中は、等身大で居続ける強さを持っている。そしてこれこそが、すべての出来事を「たまたま」と表現できる背景なのだと思う。自分を大きく見せる必要がないから、成果を必然のストーリーに仕立て上げる必要もない。

ただ、ここに一つだけ添えておきたいことがある。他者は、必ずしも全員が強くない。だから人は何かにつけて、努力と結果を結びつけたがる。あのとき不幸なことがあったから、今の自分がある。あの苦しい時期があったから、今が幸せなんだ、と。実際には、出来事それ自体はたまたまかもしれない。それでも人は、そこに線を引きたい。

そしてもう一つ。「東大」「開成」「Google」で区切られてしまうと、多くの人は"自分とは違う"と思って、一歩目で諦めてしまう。田中が等身大で「たまたま」と言うたびに、受け取る側では逆に距離が広がってしまうことがある。だからこそ、たまたまの「前後」にあるものを分解して書いておきたい。それが、山本がこの日ずっと食い下がっていた理由である。

対談の様子。「たまたま」という言葉が、何度も会話に挟まる。
▲ 対談の様子。「たまたま」という言葉が、何度も会話に挟まる。

④ 事業よりも先に来る、人の魅力

「この人と働きたい」が入口になり、そのまま事業を好きになる

ここまで見てきたことを踏まえると、田中の周りで起きている現象にも、説明がつきはじめる。

山本は、人が会社に入る理由は大きく2つに分けられると考えている。

ひとつは、そこにいる人の人間性が豊かで、シンプルに「この人と一緒に働きたい」と思わせること。もうひとつは、その会社の事業がとても魅力的で、その事業を目掛けて人が集まってくることだ。前者は人が入口になり、後者は事業が入口になる。どちらか一方でも会社は強くなるが、両方が同時に起きている会社は、そう多くない。

そして当時のメドレーには、この2つが同時に起きていたように思う。医療のテクノロジーという事業そのものに惹かれて来た人もいたし、そこにいる誰かと働きたくて来た人もいた。そして山本の見立てでは、その”人”のほうの引力のひとつが、田中だった。

ところが、その田中自身に事業への強い課題意識があるのかというと、話はそう単純ではない。本人はこう言うのである。

「その産業に対して課題があるかというと、別に何とかしたいとは思わない。
ただ、今のあり方に対しては、自分はこうしたい」

── 田中さん

さらに「そこに賛同して人が入ってくるほどの想いもない」とまで言う。田中にとっての決め手は、産業の課題そのものよりも、そこに自分が楽しいと思える部分があるかどうかなのだ。③で書いたGoogleへの転職も、根っこは同じである。不便だという課題意識はあった。だが最後に背中を押したのは、面白そうだという感覚のほうだった。

それでも——というより、だからこそなのかもしれないが、田中を中心にしてTuringは拡大を続けており、田中の周りにはいつも人がいる。そして、そこで起きているのはメドレーのときと同じ現象だ。事業ではなく「田中さんと働きたい」という理由で入ってきた人が、それを入口にして、そのまま事業を好きになっていく。順番が、世の中の想定と逆なのである。

あえて言語化するなら、こういうことだと思う。田中が何をしてくれるのかは、正直よくわからない。手取り足取り指導してくれるわけでも、面倒を見てくれるわけでもない。それでも多くの人が「この人と働きたい」と思うのは事実であって、そこには見えない引力のようなものがある。その正体は、たぶん楽しそうに、でも真剣に働いている人の隣にいられることだ。それだけで、相手を特別な気持ちにさせてしまう。

そしてこの引力の形は、②と③で見てきたものと地続きにある。自分を大きく見せない。持っているものを、成功の理由として語らない。その姿勢は、そのままマネジメントの形になって表れていた。

田中は、握らないのである。相手を過度に掌握しにいかない。夜、飲みに連れていくタイプでもない。日中に研修やイベントで無理に距離を詰めることもしない。個別に一人ずつグリップしていく、という動き方をほとんどしない。

そしてこれは、マネジメントが下手だという話ではない。握らなくても大丈夫だと思えているという話だ。自分を大きく見せる必要がない人は、相手を小さく扱う必要もない。しかも田中は、「あまりマネジメントをしない」ということ自体を、隠さずに出している。取り繕わないから、こちらも取り繕わなくてよくなる。

山本の当時の実感はこうだ。みんな話しやすい。すごい先輩で、すごい上司。だけど実際どういう人なのかはわからない。そしてそれは、7年経ったいまも、結局そのままである。等身大の人の前では、自分も等身大でいられる。ただし相手の内側は、意外なほど見えない。

それなのに、である。田中は、ふと「何してるかな」と思い出される人なのだ。連絡が来るわけでもない。誘われるわけでもない。それでもなぜか、ときどき顔が浮かんで、会いたくなる。

わかりやすい例がある。田中がFacebookに何かを投稿すると、当時のメドレーの役員やメンバーが、大勢いいねを押している。握られた記憶のない人たちが、何年経っても、投稿のひとつに反応してしまうのである。そして山本は毎回それを眺めて、勝手にニヤニヤしている(笑)。

この引力の源泉について、④の冒頭で書いたことをもう一度思い出したい。田中の決め手は、産業の課題ではなく「自分がそれを楽しめるか」だった。そして山本が思うに、これは単なる仕事の選び方の話ではない。この人の熱量の根源そのものである。

だから山本は、Turingに参画した理由を聞くときに、少し意地悪に詰めてみた。「フルコミットする割に、産業への想いを語るほどの熱量が見えないんですよ」。田中の答えは、まっすぐだった。

「いや、なんか、楽しいか。
それに出会えれば、それが全てになるから」

── 田中さん

Turingの代表である山本一成さんとは、2017年頃からの知り合いだ。年に1回くらい会う関係が5年続き、食事をして、完全自動運転EVという話に乗った。田中は自身のnoteで、キャリアの選択を「思い出作り」という言葉で説明している。難しさそのものが魅力なのだ、と。

ここで話は、④の入口に戻ってくる。産業への想いから逆算して熱量を作るのではなく、自分が楽しいと思えるものに出会って、そこに全部を置く。その姿を隣で見ている人間は、たぶん事業の説明よりも先に、この人の温度に触れてしまう。だから「この人と働きたい」が最初に来て、事業を好きになるのはそのあとになる。これが、田中の引力の中身だと思う。

そしてここまで書いて、山本は自分の立ち位置に気づく。山本は自分を「田中さんチルドレン」だと思っている。ずっとそう思ってきた。田中本人は「お前、チルドレンだったっけ」くらいの感覚らしい。それが不思議なのだ。田中の側には握った記憶がなく、こちら側にはすごくお世話になった感覚がしっかり残っている。そして、それは山本だけではない。みんなそうなのである。

握らないのに、人がついてくる。その理由を聞いていく。
▲ 握らないのに、人がついてくる。その理由を聞いていく。

⑤ あの会社は、奇跡だった

30代半ばのレジェンドが、次々に入ってきた

この日、山本にはもう一つ振ってみたい話があった。いまのTuringと田中に、当時のメドレーと似たような雰囲気を感じたからだ。

田中は、ここまで書いてきた引力をそのまま使って、あの頃と同じようなムーブメントを起こしているようにも映る。事業を先に語らないまま、人が集まっていく。あの並び方を、山本は一度見たことがある。

そこで山本は、少し前に別の元メドレー役員と交わした会話を田中に伝えた。山本はその人にこう話していた。

「僕は、僕がいた時のメドレーしか知りません。
でも僕はあの時代がすごく好きで、自分が作りたい会社の元になっているんです。
あの時代のメドレーのような会社があるなら、どんな形であれ関わりたいと思うくらい」

── 山本 恭平(yourVintage 代表)

返ってきた言葉は、はっきりしていた。「いや、あの時のメドレーみたいな会社はない」。探した人が、探しても無かったと言うのである。

この話を田中にすると、田中も同じ顔になった。そして結論も同じところに落ちる。あのタイミングのあの会社は、奇跡だった。

何が奇跡だったのか。ひとつは人の質と、入ってきたタイミングである。集まったのは30代半ば——一番脂が乗った時期の人たちだった。いまなら間違いなく引き抜き合戦になるような層が、次々に同じ会社に入ってきた。しかもその枝の枝みたいな立場だった人が、いまは自分の会社を出しているレベルである。ちなみに、その枝の枝が私、山本である。当時いちばん下でセールスをやっていた人間が、7年後にこうして記事を書いている。それくらいの層まで、あの会社の熱は届いていた。

もうひとつは密度だ。「いろんな会社を支援したり関わったりしてきたけど、あんな感じの会社は見たことがない」と山本は言う。そしてその密度のまま、上場まで一気に行った。

そして④で挙げた2つの理由が、ここでもそのまま働いている。一緒に働きたい人がいて、目掛けたくなる事業があった。加えてメドレーには、開成・東大という10代からの関係のネットワークがあった。田中自身、社長の瀧口浩平さんとは中学の同級生である。誰かが誰かの同級生で、その誰かがまた誰かを呼ぶ。田中はこれも「たまたま知り合いだった」と言うだろう。

だが、15年、20年前の関係が、その人のいちばん脂の乗った時期にちゃんと生きているという事実は、たまたまでは説明できない。声をかけたときに来てもらえる関係を、20年ぶんメンテナンスしてきた人がいる、というだけの話である。

山本が執着しているのは、まさにこの部分だ。あれは何だったのか。どうすれば再現できるのか。山本には一つ仮説がある。再現性を出すなら、社会貢献性の高い会社に転職することだ。医療のような領域には、本来もっと稼げる場所で活躍できる能力を持った人が、”想い”を抱えて集まってくる。だからタイミングによって離散もする。それも含めて、あの密度は生まれるのではないか。

⑥ そして、この一言に行き着く

「できないことを、毎回できるようにするやつが優秀だ」

ここまで、田中の引力の正体を追いかけてきた。だが最後に、この記事でいちばん書き残したかったことを書く。山本がこの人から受け取ったもののうち、いまも一番効いている一言のことである。

山本がメドレーにいたのは1年だ。田中と一対一で話す時間など、そう多くはなかった。それでも在籍中に何度か、同じ言葉を聞いている。そして7年経ったいまも、そこだけが鮮明に残っている。

「俺が思う優秀なやつの定義は、”できることをできるやつ”じゃない。
“できないことを、毎回できるようにするやつ”だ」

── 田中さん

山本はこれを田中本人に確認した。「これ、絶対に田中さんなんですよ」。田中は笑って認めた。「俺、喋ってたと思うわ。俺がめっちゃ言いそう(笑)」。

この言葉が、③で書いた話とぴったり重なる。できることの積み上げを次の保証にせず、できないことに毎回踏み出していく。田中が自分の学歴や経歴を成功の理由として語らないのは、まさにこの定義を自分にも当てているからだ。過去にできたことは、次の一歩の保証にはならない。だから毎回、できないところから始めることになる。そしてその結果を、本人は「たまたま」と呼ぶ。

重要なのは、この言葉が7年後に、山本の会社の採用基準になっているということだ。山本はこれをそのまま自社の採用メッセージに書いている。「うちが採るのは、できることを増産できる人ではなく、やったことがないことをできる人材です」——出典は、田中の口癖である。

山本の言葉で言えば、こうなる。「俺が優秀だと思うやつは、全然やったことがないけど、今日から見ていってできるやつ」。再現性と汎用性、そしてその人の考え方に宿るもの。それがあれば、業種も職種も関係ない。メーカーでも小売でも、建設でも飲食でも、金融でも医療でもITでも同じだ。営業でも企画でも、開発でも管理部門でも変わらない。

そのメドレーを、山本は1年で離れることになる。転職を伝えたとき、田中から返ってきたのはこれだけだった。

「わかった。もう決めたんだろ?
でも、お前がいて助かったよ」

── 田中さん

それだけである。引き止められもしなかった。けれど背中を押してくれているような気がして、すごく嬉しかった記憶がある。握らない人の言葉は、握られた記憶が残らない代わりに、こういう形で残る。

山本には、いま一つのミッションがある。「”実現したい”を増やす」こと。自分自身に明確なやりたいことがない中で、やりたいと思った人を支えていく。そのための共通言語としてITを選んだ。システムがわかると、ほとんどの会社と、ほとんどの人と話せるようになる。英語みたいな感覚だ、と山本は言う。

そして、独立に至るまでの分岐点をたどっていくと、いちばん最初は必ずここに行き着く。メドレーに入ったことだ。その入口に立っていたのが、田中大介という人だった。

この日、山本が最後に伝えたのはこういうことだった。すごそうに見られることより、昔の関係性のまま喋ってもらう方が嬉しい。「お前なんか、どうせ何もできねぇだろ」でいい。それはそれでいいじゃないですか、と。

結局、この日も多くは「たまたま」で片付けられてしまった。それでいいのだと思う。本人が「たまたま」と語れることそのものが、この人の強さなのだ。自分を大きく見せる必要がないから、必然のストーリーを組み立てる必要もない。

ただ、受け取る側は、そこで止まってはいけない。たまたまの前には、おかしいと思ったものを自分で直しておく日々があり、たまたまの後には、それを引き受けて本気でやる時間がある。その前後を見ないまま「あの人はたまたま持っていた人だ」と片付けてしまえば、この人の魅力は誰にも受け継がれないままになる。

田中大介という人の周りには、いまも人がいる。握られた記憶もないのに、呼ばれたら行ってしまう人たちが、たしかにいる。そしてその引力は、たまたまでは生まれない。

▶ 田中さんのメドレー時代のインタビューはこちら。Turing参画の経緯はご本人のnoteで語られています。

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